ちょこの日記

主に乃木坂の備忘録。星野みなみさん。

2/12 星野みなみ 卒業セレモニー

 

 

こんばんは。取り敢えず寝る前につらつらとつづっておこうかなと思い、眠い目を擦りながら書いてます。ほんとうにサクッとなので、先日のオンラインサイン会やら、がっつり書きたい今日(昨日の)セレモニーについてはまた後日。

 

 

 

 

 

基本的にみなみちゃんと仲良い人たちが、みなみちゃんに最後の言葉を贈ってくれてありがとうという気持ち。れんかちゃんかな、少し居なくて寂しかったのは。

 

 

 

新内さんの卒セレはトーク中心だったらしく、それを踏まえて行ったらめちゃくちゃ曲やるのね(笑)

んで、みなみちゃん自身も「ライブ」って言っちゃうもんだから余計にさ(笑)

 

 

基本的にどの場面でもみなみちゃんが泣かないでおこうって、(オタクの前では)笑顔でいようって感じられた気がしたライブでした。泣きたくない理由この前聞いたしね。

 

 

まあ、ほんとに去年の9月くらいから“卒業”に向けて加速してしまったんだと思うんだけど、この半年で自分自身どう最後を迎えたいかとか整理して迎えることが出来たと思うと意味が得られるかなと。いや、そりゃ出ないことが1番なんだけどね。

 

 

ずーーーーーーっと言ってた「制服を脱いでサヨナラを…」は2015年8月30日から切望してた形が見れて本当に涙が止まらんかった。約2350日。やりそうとは言ってたけどさ、今のあしゅみなでやられると別の角度からのパンチになるのよ。なんか間奏の部分でお互いのこと褒め合って泣き合うしさ、、、飛鳥ちゃんが強がれるのも素直になれるのもみなみちゃんだからなのかなと思ったり思わなかったり。やっぱりさ、今は山下とか梅澤とか遠藤と仲良いってペア売りされがちだけどさ、それとこれとは違うよなと思ってしまった。贔屓なのかなこれは、違うと思ってはいるんだけどもどうなんだろう。そういう所に意味を見出すのがオタクだし、“色々あったけど踏ん張れた”って言葉はずるいよ。こっちですら分かる位の言葉の重さ。当人たちはとんでもないものを背負ってたはず…。

そんで、“頑張れない”という表現。考えて出た言葉じゃないとすると本当にこれが悔やまれる。何かまだ出来たんじゃないかって。無駄に長く居たくせにもう少しちゃんとしろよな自分。9月以降のがラストパンチになったんじゃないかとおもうと、余計にね。

 

 

 

なにか出来たんじゃないか はきぃちゃんの最後の言葉でも思ってしまって。どう考えても「支えてもらった」はこの前の事じゃん。こっちができることってあのとき殆ど無かったにせよ、動くべきだったはず、何かしら。

 

 

 

この備忘録でもずっと「友達」になりたいって公言してて。もちろん、相談されたりなんてことは無かったんだけど、相談したことを覚えててくれたり、話しやすいって言われたときにもうちょいちゃんと話しても良かったのかなとかは思っちゃう。ないものねだりだね、これもきっと。

現場があるときはこんなすぐ卒業すると思わなかったし、まさか撮られるなんて思わなかったし、やっぱりその時その時のイベントのことを伝えたくなっちゃってた僕はやっぱり弱い。意思があまりにも。

 

 

みなみちゃんが最後、ドレス姿で一見在り来りな感謝を述べてたときに、自分の活動にいつしか「自信が持てた」って話をしてくれてて。同い年としてはそれを成長過程の中で如実に感じることができて幸せだなと思ったし、そんな過程の一助になれてたらなと思ったり、そんな過程の中で変わらない部分を持っていたみなみちゃんはやっぱり尊敬だし。きっと俺らが知らないところでめっちゃ愛を振り撒いてるんだよ。それが感じられた最後の最後のセレモニーの時間でした。

 

 

ほかのメンバーにも散々言われてたけど、もうこれからは周りの為だけじゃなくて自分のために、自分の幸せのためだけに動いて欲しい。引退してからもギャーギャー言うやつはいるけど、そんなのは無視できるメンタリティーのはず。最後の最後にキレイなもんを見せてもらったんだ。信じさせて下さい。

 

 

 

 

沢山のありがとうと、沢山のお疲れ様。最後の最後まで綺麗で可愛いみなみちゃんが見れて良かったです。絶対に幸せになって下さい。絶対です。

 

 

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